Craft Journey #1 "Shigaraki - Ceramic"

Photo: Yuya Shimahara
Text: Yuriko Horie

ネコと人が共に生きるランドスケープ。ネコと人の間に存在する自然なモノ。
newaが出会ったつくり手、産地、素材を巡る企画「Craft Journey」。第一回は、滋賀・信楽の旅をお届けします。

穏やかな静けさのなかに、どこか凛とした空気が漂う陶郷、滋賀県甲賀市信楽町の街並み。長年人々の暮らしに寄り添ってきた住居や商店が立ち並び、手入れの行き届いたその佇まいからは、品格をも感じ取ることができます。

信楽は、日本六古窯の一つに数えられる歴史ある産地。 古来より日本文化の中心として栄えてきた近畿地方の中央、滋賀県の最南端に位置しています。交通の要衝であったこと、焼き物に適した豊富な原料に恵まれたことなどから、やきものの産地として発展してきました。

信楽焼の起源は、諸説ありますが13世紀(鎌倉時代中期)頃。常滑の影響を受け、開窯したといわれています。鎌倉時代には、水がめや種壷がつくられ、室町・安土桃山時代には茶人が信楽を用いたことから茶道具の生産が盛んに。江戸時代には登り窯によって、茶壷をはじめとする、多種多様な日用雑器類(梅壺、味噌壺、徳利、土鍋等)の量産がなされるようになりました。

無釉の器が中心でしたが、幕末には加飾の技法が進み、絵付を施した食器もつくられるように。大正時代から第二次大戦前までは火鉢が主力商品となり、現在は、現代のライフスタイルに合わせた製品がつくられています。

信楽の窯元、明山窯九代目で現在代表取締役を務める石野伸也さんは、信楽は「必要とされるものをつくってきた産地」だといいます。

「火鉢が必需品だった時代は、最盛期で8〜9割が信楽焼でした。信楽の特徴のひとつに可塑性があり、テーブルウエアから置物、風呂桶など、小物から大物まで生産してきました。必要とされるものを量産していくノウハウを産地でつくりあげてきた歴史的背景を見ても、信楽は人の生活様式に合わせてものづくりを行う産地だといえると思います」

創業1622(元和8)年。信楽の地で、400年以上の歩みを続けてきた明山窯。 その歴史は、二代将軍徳川秀忠の時代へと遡ります。秀忠が信楽の長野村(現:滋賀県甲賀市信楽町長野)に茶壺を注文したのを機に、将軍家及び朝廷御用として信楽茶壺が用いられるようになりました。「信楽焼の茶壺にお茶を入れると、長い間、湿気を帯びず良い香りが失われない」と評判になり、大名たちも信楽に茶壺を注文するようになったといわれています。

この歴史ある窯元を継ぐ石野伸也さんは、やきものの産地の現状について、景況はよくなく、どの産地もつくり手不足や原材料の問題(土の不足)を抱えているといいます。信楽にも、つくり手不足や土の掘り手不足といった問題が存在しています。

つくり手不足に悩む窯元が多い一方、明山窯にはものづくりを志す若い職人が多く訪れます。石野さんは、かつての職人のイメージが変わりつつあるといいます。

「過去を振り返ると、伝統工芸をとりまく環境の一つとして過酷さがありました。特に陶器づくりは、焼成や窯出しの工程ではかなりの高温になったりもするし、きつい、危険だというイメージを持つ人もいました。しかし、時代は変わりました。私の考えとしては、環境づくりとして“素の自分”でいられることを大切にしています。ありのまま、等身大の自分で作業に取り組めたほうが、いいものができると思っています。もちろん忍耐も大事なことではありますが、背伸びせず、自分らしくものづくりに取り組める環境を整えています」

明山窯が環境づくりに取り組むのと同時に、産地としての姿勢にも若い職人が信楽を選ぶ理由があらわれていました。

「信楽は、産地として町ぐるみで協力してものづくりに取り組んできました。今もその文化は引き継がれ、産地全体で信楽のイメージをつくりあげていこうとする動きがあります。また、このような動きに加え、さまざまな新しいものを取り入れたものづくりを続けることで、それが伝統になっていったという経緯があります。信楽には、さまざまな新しいものを取り入れる態勢があり、対話ができる産地なのだと思います」

石野さんは、これからの信楽についてこう続けます。

「使い手の変化に応じて、作り手も、産地も変わっていかなければなりません。 私たちの製品を手に取った使い手が、“豊か”になるものづくりをすることがすべてだと思っています。使い手も、作り手である職人も、心が豊かであってほしいと願っています。

ものづくりについては、今まで通り、使い手の要望を取り入れながら、形にしていくことで進化させていきたい、そして、町をあげてものづくりできる環境を整えていきたいと考えています。陶器にかかわらず、ものづくりはなんでも受け入れる気持ちです」

積極的に革新的な取り組みを行なっていかないと、新しいものづくりはできないと語る石野さん。今後は、町をあげた取り組みの一環として、クラフトマンをより多く支援できるように、職人の住環境を整えることに注力するといいます。

先人がそうであったように、これからも信楽は“ふところが深い産地”であり続けます。

次回は、信楽焼の根幹となる「土」についての旅をお届けします。

【参考文献】

『伝統的工芸品ハンドブック 改訂版』(一般財団法人 伝統的工芸品産業振興協会)
『やきもの辞典』(光芸出版)
明山窯 https://www.meizan.info/
信楽陶器工業共同組合 https://www.593touki.jp/shigarakiyaki.html
伝統工芸 青山スクエア https://kougeihin.jp/craft/0413/
六古窯 https://sixancientkilns.jp/